「興味はあるが一歩が踏み出せない」企業のためのベトナムM&A戦略ガイド

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ベトナムでのM&A(企業の合併・買収)について、「大きな可能性があることは理解しているが、どうも最後の一歩が踏み出せない」。
多くの経営者の方とお話しする中で、このような声を頻繁に耳にします。

なぜ今、これほどまでにベトナムが注目されているのでしょうか?
私、佐藤一真は、M&Aアドバイザーとして15年、そのうち8年以上をここホーチミンで過ごしてきました。
現地に身を置くからこそ語れる、肌で感じるリアルな潮流があります。
それは、単なる経済成長率の数字だけでは見えてこない、市場の熱気とダイナミズムです。

この記事は、そんな「興味」と「不安」の狭間で足踏みしている日本の企業経営者、事業責任者の皆様のために書きました。
情報不足や漠然としたリスクへの不安を解消し、貴社がベトナムで確かな一歩を踏み出すための、具体的な戦略と行動のヒントを提示します。
ぜひ最後までお付き合いください。

ベトナムM&Aの最新動向と魅力

経済成長と中間層の拡大がもたらすビジネス機会

ベトナムの魅力の根幹は、その力強い経済成長にあります。
2024年の実質GDP成長率は7%を超え、安定した拡大が続いています。
しかし、私がそれ以上に注目しているのは、爆発的に拡大する中間層の存在です。

2030年までには、人口の約75%が1日の可処分所得11ドル以上の中間層になると予測されています。
これは、単に「モノが売れる市場」というだけでなく、より質の高い製品やサービスを求める、成熟した消費市場が生まれつつあることを意味します。
この巨大な内需こそが、日系企業にとって最大のビジネス機会と言えるでしょう。

有望セクターとM&A対象企業の特徴

かつてのベトナム進出は製造業が中心でしたが、今はその様相が大きく変わりました。
M&A市場では、以下のようなセクターが活況を呈しています。

  • 不動産・建設
  • 食品・消費財
  • IT・テクノロジー
  • 小売・Eコマース
  • 再生可能エネルギー
  • 教育・医療

これらの分野に共通するのは、まさに拡大する中間層のニーズに応える産業であるという点です。
対象となるベトナム企業は、創業者が一代で築き上げたオーナー企業が多く、優れた技術や顧客基盤を持ちながらも、さらなる成長のための経営ノウハウや資金を求めているケースが少なくありません。

日系企業による最近のM&A事例から見える傾向

近年、日系企業によるM&Aも、こうした市場の変化を的確に捉えています。
例えば、大手酒類卸の日本酒類販売は、現地の有力な酒卸売業者を子会社化しました。
これは、単に商品を輸出するだけでなく、現地の販売網を直接手に入れることで、市場のニーズに迅速に対応しようという戦略的な動きです。

また、配電盤メーカーの河村電器産業は、現地のFA機器・ブレーカー供給企業を買収しました。
これは、ベトナムの工業化を支えるインフラ需要を取り込む動きであり、非常に示唆に富んでいます。
これらの事例から、「市場の成長を直接取り込む」という強い意志が読み取れます。

政策・法制度の変化とその影響

ベトナム政府も、外国からの投資を積極的に呼び込むための環境整備を進めています。
特に2024年から2025年にかけて施行される新「土地法」や「不動産事業法」は、これまで不透明だった土地利用のルールを明確化し、外国企業がより安心して大規模な投資を行えるようにするものです。

もちろん、法制度の変更には注意深いキャッチアップが必要ですが、全体として、投資環境は着実に改善されていると断言できます。
こうした追い風も、今が行動を起こす好機である理由の一つです。

「興味はあるが踏み出せない」理由の正体

多くの企業がベトナム市場の魅力に気づきながらも、なぜ一歩を踏み出せないのでしょうか。
私がこれまで数多くのご相談を受けてきた中で、その「壁」の正体は、大きく4つに分類できると感じています。

情報不足と見通しの曖昧さ

「ベトナムは有望だ」というマクロな情報は溢れています。
しかし、自社の事業領域において、具体的にどのようなチャンスがあり、どのような企業がターゲットになり得るのか、というミクロな情報が圧倒的に不足しています。
結果として、戦略の解像度が上がらず、「面白そうだが、具体的にどう動けばいいか分からない」という状態に陥ってしまうのです。

現地リスクや文化ギャップへの不安

次に挙がるのが、日本とは異なるビジネス環境への漠然とした不安です。
特に、以下のようなリスクを懸念される経営者の方は少なくありません。

  • 会計の不透明性:いわゆる「二重帳簿」など、公式な決算書だけでは実態が見えないのではないかという懸念。
  • 法務・コンプライアンス:許認可の取得や労務問題など、予期せぬトラブルに巻き込まれることへの不安。
  • 文化の違い:口約束を重視する商習慣や、従業員の価値観の違いに戸惑うのではないかという心配。

これらのリスクは確かに存在しますが、過度に恐れる必要はありません。
重要なのは、リスクの正体を正確に理解し、適切な対策を講じることです。

社内合意形成や投資判断の壁

海外M&Aは、企業にとって大きな経営判断です。
担当者がその可能性を強く感じていても、取締役会など、社内の意思決定者を説得するための客観的な材料が揃えられなければ、プロジェクトは前に進みません。
「本当に投資を回収できるのか?」
「失敗した場合の責任はどうするのか?」
こうした問いに対し、現地のリアルな情報に基づいた説得力のあるストーリーを構築することが、非常に難しいのが実情です。

過去の失敗事例に対する過剰な警戒

メディアでは、海外進出の成功事例が華々しく報じられる一方で、その裏には数多くの失敗事例も存在します。
他社の失敗談を見聞きするうちに、「やはり海外M&Aは難しい」「自社にはまだ早い」と、過剰に警戒心を強めてしまうケースも散見されます。
しかし、失敗の多くは、事前の準備不足や現地の理解不足に起因するものです。
その教訓を学び、自社の戦略に活かすことができれば、それは成功への羅針盤となり得ます。

一歩を踏み出すための戦略的アプローチ

では、これらの「壁」を乗り越え、確かな一歩を踏み出すためには、どのようなアプローチが有効なのでしょうか。
私が常にクライアントにお伝えしている、4つの重要なステップをご紹介します。

小さく始める:マイノリティ出資や業務提携の活用

「M&A=100%株式取得」と考える必要は全くありません。
特に初めての海外進出では、まずは少額のマイノリティ出資や、資本の入らない業務提携から始めることを強くお勧めします。
これにより、以下のメリットが得られます。

  1. リスクの低減:初期投資を抑え、万が一うまくいかなかった場合の損失を限定できます。
  2. 相互理解の深化:パートナーとして共に事業に関わる中で、相手企業の文化や経営スタイルを深く理解できます。
  3. 将来の選択肢確保:信頼関係が構築できれば、将来的に出資比率を引き上げるという選択肢も生まれます。

まずは小さく関係を築き、時間をかけて信頼を育む。
これが、異文化のパートナーシップにおける成功の定石です。

こうした戦略的なアプローチと並行して、実務的な流れを理解しておくことも不可欠です。
より詳細なベトナムのM&Aにおける手続きの流れと留意点については、こちらのガイドで詳しく解説されていますので、全体像を掴むためにご参照ください。

デューデリジェンスの着眼点と注意点

デューデリジェンス(DD)は、M&Aの成否を分ける最も重要なプロセスです。
財務や法務といった基本的な項目はもちろんですが、ベトナム特有の着眼点を持つことが不可欠です。

「ベトナム企業のDDでは、帳簿に書かれていない『人』と『慣習』を読み解くことが何よりも重要です。」

これは、私が長年の経験から得た教訓です。
具体的には、以下の点に注意してください。

  • キーパーソンの特定:創業オーナーだけでなく、現場を動かしている番頭役や、古参の従業員は誰か。彼らの流出リスクはないか。
  • 取引慣行の確認:サプライヤーや顧客との関係性はどのようなものか。暗黙の了解や特殊な取引条件はないか。
  • 許認可の実態:ライセンスは正式に取得されているか。更新に際して非公式なコストが発生していないか。

これらの情報は、書類を眺めているだけでは決して見えてきません。
現地に足を運び、関係者と対話を重ねる中で、初めて明らかになるのです。

信頼できるローカルパートナーの見極め方

M&Aを成功に導くためには、現地の法制度や商習慣に精通した、信頼できるパートナーの存在が欠かせません。
弁護士、会計士、そして私のようなM&Aアドバイザーです。
良いパートナーを見極めるポイントはシンプルです。

1. 貴社のビジネスを深く理解しようとしてくれるか
2. メリットだけでなく、リスクやデメリットも率直に話してくれるか
3. 現地での具体的な成功事例と失敗事例の両方を知っているか

机上の空論ではなく、現場の泥臭い経験を持つ専門家こそが、貴社を成功に導く真のパートナーとなり得ます。

社内の意思決定を加速するための準備

最終的に、投資を決断するのは貴社自身です。
社内の合意形成をスムーズに進めるためには、客観的で説得力のある「投資ストーリー」が必要です。
そのためには、以下の準備が有効です。

準備項目具体的なアクション
市場の魅力の可視化マクロデータに加え、現地の写真や競合製品のレポートなど、市場の「空気感」が伝わる資料を用意する。
リスクと対策の明示想定されるリスクをリストアップし、それぞれに対して具体的な対策(DDでの確認、契約書での手当など)をセットで提示する。
段階的な投資計画最初からフルスペックの投資計画ではなく、前述の「小さく始める」アプローチを盛り込み、スモールスタート案を提示する。

これらの準備を通じて、「分からないから不安」を「ここまで分かっているから挑戦できる」へと転換させることが、社内を動かす鍵となります。

買収後の統合(PMI)を見据えた計画立案

M&Aは、契約書にサインをして終わりではありません。
むしろ、そこからが本当のスタートです。
買収後の統合プロセス、いわゆるPMI(Post Merger Integration)の成否が、M&Aの最終的な価値を決定づけます。

現地経営者との関係構築と信頼形成

特にオーナー企業を買収した場合、創業者の想いや哲学を尊重する姿勢が極めて重要です。
買収したからといって、日本のやり方を一方的に押し付けては、必ず強い反発を招きます。
まずは相手の歴史と文化に敬意を払い、「私たちは、あなた方が築き上げてきたものを、さらに発展させるために来たパートナーです」というメッセージを伝え続けること。
時間をかけて対話を重ね、信頼関係を築くことが、全ての土台となります。

組織文化の橋渡しと軋轢の回避法

日本企業とベトナム企業では、仕事の進め方やコミュニケーションのスタイルが大きく異なります。
この違いを無理に統一しようとすると、組織に軋轢が生まれます。
大切なのは、それぞれの良い部分を活かす「ハイブリッド型」の文化を創造することです。

  • 意思決定:日本の慎重な合議制と、ベトナムのトップダウンのスピード感を、場面に応じて使い分ける。
  • 評価制度:日本の長期的な視点と、ベトナムの短期的な成果主義を組み合わせた、新たな評価基準を作る。
  • コミュニケーション:定期的なタウンホールミーティングや、日本人駐在員と現地社員の交流会などを設け、相互理解の場を作る。

こうした地道な取り組みが、組織の一体感を醸成します。

管理体制・人材マネジメントの整備ポイント

PMIにおいて、管理体制の整備は避けて通れない課題です。
特に会計やコンプライアンスの基準は、日本本社のグローバルスタンダードに合わせる必要があります。
ただし、ここでも急進的な改革は禁物です。

1. 現状の把握:まずは現地のやり方を徹底的にヒアリングし、なぜそのような方法が取られているのかを理解する。
2. 段階的な導入:新しいルールやシステムは、一度に全てを導入するのではなく、優先順位をつけて段階的に導入する。
3. 現地主体の運用:新しい体制を運用する主役は、あくまで現地社員です。彼らが納得し、自律的に運用できるようなトレーニングと権限移譲が不可欠です。

優秀な人材の流出を防ぎ、彼らのモチベーションを高めることが、PMI成功の鍵を握っています。

成功したPMI事例とそこから得られる教訓

私が過去に支援したある製造業の案件では、買収後、あえて半年間は経営に一切口出しをせず、ひたすら現場の観察と対話に徹しました。
その上で、日本人駐在員は「新しいルールを作る人」ではなく、「現場の困りごとを解決するサポーター」という役割に徹したのです。
結果として、現地社員から自発的な改善提案が次々と生まれ、両社の文化が自然な形で融合していきました。

この事例からの教訓は、「管理(Control)ではなく、支援(Support)から始める」ことの重要性です。
信頼という土壌があって初めて、新しい管理の仕組みも根付くのです。

現地駐在アドバイザーの視点から伝えたいこと

最後に、8年以上ホーチミンに駐在する私個人の視点から、これからベトナムを目指す日本の皆様にぜひお伝えしたいことがあります。

「現地に根差す」ことの重要性とその実践方法

ベトナムビジネスの成功は、いかに「現地に根差す」ことができるかにかかっています。
これは、単に現地にオフィスを構えるという意味ではありません。
現地のコミュニティの一員として、経済だけでなく、文化や社会にも関心を持ち、貢献しようとする姿勢です。
週末には現地の経営者仲間とゴルフや食事を共にし、ビジネスの会議では出てこない本音や、市場のリアルな課題をヒアリングする。
こうした地道な活動の積み重ねが、いざという時に助けてくれる強力なネットワークを築き、ビジネスの土台を強固なものにしてくれます。

オフィスでは掴めないベトナム市場の温度感

市場の本当の姿は、オフィスや会議室の中にはありません。
ショッピングモールに足を運び、どんな商品が売れているのか、どんな家族連れが買い物を楽しんでいるのかを自分の目で見る。
ローカルの食堂で食事をし、人々の活気や表情を感じる。
Grab(配車アプリ)のバイクに乗り、街の喧騒や発展のスピードを肌で感じる。
こうした五感で得られる情報こそが、データだけでは分からない市場の「温度感」を教えてくれます。
この現場感覚こそが、最終的なビジネスの意思決定において、大きな力を発揮するのです。

誤解を避けるためのコミュニケーション術

ベトナムの人々は、日本人と同様、相手の気持ちを察し、直接的な物言いを避ける傾向があります。
会議の場で「分かりました」と言っていても、それは「理解しました」という意味で、「同意します」という意味ではないことが多々あります。
誤解を避けるためには、以下の点を心がけることが重要です。

  • 結論を急がない:その場で即断を求めず、相手が検討する時間を与える。
  • オープンクエスチョンで聞く:「Yes/No」で答えられる質問ではなく、「どう思いますか?」と意見を求める。
  • 議事録で確認する:会議で決まったことは、必ず書面に残して双方で確認する。

こうした丁寧なコミュニケーションが、後の「言った、言わない」という不毛な対立を防ぎます。

想定外を乗り越えた現場の実話

私が初めてベト-ナム企業の買収を手掛けた時のことです。
契約調印の直前になって、相手方のオーナーから「親族の同意がまだ得られていない」と告げられ、ディールが頓挫しかけたことがありました。
日本では考えられない事態に頭を抱えましたが、私たちは慌てず、オーナーの自宅に何度も足を運び、ご家族一人ひとりに事業の将来性を説明して回りました。
最終的には、その熱意が伝わり、無事に契約を締結することができました。
この経験から学んだのは、ベトナムのビジネスは、ロジックや契約書だけでは動かないということ。
最終的に人の心を動かすのは、理屈を超えた信頼関係と情熱なのだと、今でも強く信じています。

まとめ

本記事では、ベトナムM&Aに関心を持ちながらも一歩を踏み出せないでいる企業様に向けて、その魅力から課題、そして具体的な戦略までを解説してきました。

改めて、要点を振り返ってみましょう。

  • 力強い経済成長と巨大な中間層市場は、今なお健在である。
  • M&Aの主戦場は、製造業から内需型のサービス業へと拡大している。
  • 法制度の整備も進み、投資環境は着実に改善されている。

ベトナムへの進出は、もはや単なるコスト削減策ではなく、企業の持続的な成長を実現するための、極めて重要な戦略的選択肢となっています。

一方で、情報不足や文化ギャップといった「見えない壁」が、多くの企業の行動を阻んでいるのも事実です。
しかし、これらの壁は、正しい知識とアプローチによって乗り越えることが可能です。
重要なのは、リスクを過度に恐れるのではなく、その正体を正確に把握し、一つひとつ着実に対策を講じていくことです。

完璧なタイミングを待っていては、永遠に行動は起こせません。
市場が成熟しきってからでは、すでに手遅れです。
今ならまだ、魅力的なパートナー企業と、適正な価格で手を組める可能性があります。
100%の株式取得にこだわらず、マイノリティ出資や業務提携など、まずは小さく、しかし確実な一歩を踏み出す。
今こそ、その決断を下すべきタイミングではないでしょうか。

この記事が、貴社のベトナム戦略を「興味」の段階から「具体的な検討」の段階へと進める、一つのきっかけとなれば、これに勝る喜びはありません。
貴社の持つ素晴らしい技術やサービスが、ベトナムという成長市場で花開く日を、心から楽しみにしています。

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